ご挨拶という硬い感じじゃなくて、まるで前から知っているように優しく、全てを受け入れるひとでした。無事に帰省した。お米や野菜を自分で育て、自然の摂理を重んじる。先祖や子孫についても同じこと。長男が連れてきた是即ちお嫁さん。「大賛成」と言ってくれた。生きているのではなく生かされているのだという考え方が、今の私には真似できなくて、小さい自分を申し訳なく思った。




来年度。彼が異動するらしく、新天地で館長になるのだそう。もし決まったら、引っ越すか単身赴任か。私も今月か四月か異動があるかもしれず、その如何によっては一緒になれたり、なれなかったり。とかそういうごく普通の幸せを、ぽわぽわ考えたり、ふたりで番う雑誌や住まう雑誌を読む昨今。みんな買っているこれ、自分らも買ったりして不本意ながら案外たのしく、そういう瞬間に、たったひとりの「個だ、個だ」とか言っている歳のころの自分を少しずつ忘れていく。





よく眠っている人にささやかな声で話しかけてそして起こすのは、なにか宝箱をあけるような心もちがするものだが、
その目ざめの瞬間、相手のなかで、夢と自分が溶けあわされるのを感じるかもしれない。


それもまた「消え去り」のひとつとして流れていくが、自分が誰かにとってブレイクファストになるというのは、
人間としてほんとうに、いまそこにいるという感じがすることにちがいない。
― via「熊にみえて熊じゃない」いしいしんじ












 


検診で産婦人科へ。連れが同行。市から交付された子宮頸ガン検診クーポンを利用。


看護婦さん、左手の指輪を見て「ご結婚されていますか?」 私「未婚です」という、はじめの会話。



帰宅して連れが作った昼食の、お蕎麦のおいしいこと。






冷蔵庫が 息づく夜に お互いの 本のページが めくられる音


— via「世界中が夕焼け」穂村弘












 

ひとが書いたものの上からペンで赤線引いて「ここ良いね」とかお前どんだけ偉いねん 死ねよ。

回り回って、実は異動するの私じゃないかと思い始めた。対岸の火事が自分の元居た場所だとしたら、やっぱり不憫で、今どこに居ようと結局は運命を共にするのが道理のような気がしたり。君は地獄を見たか、という問いが社会に転がっていて稀に拾わされます。私の苦労なんて苦労ではなくて私の努力なんて努力ではないですよ。はいはい。打ったり叩いたりしないと人は育たないという考え方は安くしないと物は売れないという考え方に似て低俗。混乱。


アメトーク、読書芸人の回を再見。読書あるあるが思い出の中にあるある過ぎて胸が締め付けられる思い。





<書く>ことの空虚さが身に沁みる場面に当面すればするほど<書く>ことをやめるな、
<書く>ことがおっくうであり困難であるという現実状況が身辺にも世界体制にもあればあるほど、
じぶんの思想と文学の契機を公然と示すようにせよ、


— via「詩とはなにか 世界を凍らせる言葉」吉本隆明












 


晦日の予定が、急に色めき立つ。「今年は一緒に帰ろう」と言われてびっくりして、でも素直にうれしく、それを了解。「さくら市」というのどかな街の名前から、お義母さんとお義父さんのイメージが膨らんでいく。自分の親の反応は、楽しみだねということと、子どもは東京で産んだらどうか、というようなことだった。人生の生き直し。出発のゼロが近づいてくるこわさ。始まりは終わり。




電気を消して、ひとりで仰向けに寝ていると、背筋の下で、こおろぎが懸命に鳴いていました。


縁の下で鳴いているのですけれど、それが、ちょうど私の背筋の真下あたりで鳴いているので、
なんだか私の背骨の中で小さいきりぎりすが鳴いているような気がするのでした。


この小さい、幽かな声を一生忘れずに、背骨にしまって生きていこうと思いました。


— via「きりぎりす」太宰治












 


連れのジムに同行。若干緊張。でも、ベタでさわやかな空気がおもしろくてちょっと笑う。だいたいのマシンを5〜10キロの重りでやってヘナヘナになる体力の無さ露呈。かたや連れ、ちゃんとメニューを決めて走っていつもの通り真面目。めがねがすべってくるのを、何度も拭いていた。私はとなりでのんびり歩いた。最後に整理体操しようと言われて、そういうストレッチとかよく知らないから、へんな動きのおどりを少々おどって済ますも、連れ黙認。


私は水着を持っていなくてプールに入れない。上の階のギャラリーから、みんなが泳ぐようすを見てた。連れが、サウナとお風呂と着替えを終えて出てくるまで、ずっと見てた。洗濯機が回るのをずっと見ていて飽きないのとは似て非なるもの。




田舎の道を、凝って歩いているうちに、なんだか、たまらなく淋しくなって来た。
とうとう道傍の草原に、ペタリと坐ってしまった。


草の上に坐ったら、
つい今しがたまでの浮き浮きした気持ちが、
コトンと音たてて消えて、
ぎゅっとまじめになってしまった。


— via「女生徒」太宰治












 

                http://www.flickr.com/photos/28946036@N08/




実家。机まわり、勉強しやすい仕様に模様替え。生活の拠点半分以上実家へ移行。シラバスとかいう懐かしい響き。なんとか論、なんとか概論、なんとか学、なんとか史。



コージーコーナーで学割。ドキドキしなくても学生に見える平常心で学生証提示。仕事の帰りにスイートポテトを買って、前の職場におみやげ。本当にちょうど帰りの道。用が有っても無くても月に一度は必ず寄る前の職場の上司も先輩も、今もとても好きです。



急に思い立って、今年は連れとたまびの芸祭に行くことになって、調べていたら、ゲスト、まさかのDJやついいちろう。テキパも観て、テキ棟、工芸棟、絵画棟、じっくりまわって食堂、図書館で休憩。いろんなこと考えた大学時代を思い出すとおもう。




家にいると決めた日の夕焼けが誘う
— via「まさかジープで来るとは」せきしろ×又吉直樹












 


願書、無事提出。自分で自分を救えるかどうか。郵便局の帰り。前の男が歩き煙草で、どこまでも同じ方向へ向かっているために受動喫煙。どうしても、あとちょっと早く歩くことができなくて、追い抜けない。仕事でむかついた帰路、泣けてくることは在るとして、仕事で満足した日までも、とは天の邪鬼すぎる。本当に欲しいものはなかなか手に入らない。歳をとるということが楽しいか、悲いか。






二人の若い男女を殺してしまった悔いに、心の底まで冒されかけていた市九郎は、女の言葉から深く傷つけられた。
彼は頭のものを取ることを、忘れたという盗賊としての失策を、或いは無能を、悔ゆる心は少しもなかった。


自分は、二人を殺したことを、悪いことと思えばこそ、殺すことに気も転動して、
女がその頭に十両にも近い装飾を付けていることをまったく忘れていた。
市九郎は、今でも忘れていたことを後悔する心は起らなかった。
強盗に身を落して、利欲のために人を殺しているものの、
悪鬼のように相手の骨まではしゃぶらなかったことを考えると、市九郎は悪い気持はしなかった。


それにもかかわらず、
お弓は自分の同性が無残にも殺されて、その身に付けた下衣までが、
殺戮者に対する貢物として、自分の目の前に晒されているのを見ながら、
なおその飽き足らない欲心は、さすが悪人の市九郎の目をこぼれた頭のものにまで及んでいる、
そう考えると、市九郎はお弓に対して、いたたまらないような浅ましさを感じた。



お弓は、市九郎の心に、こうした激変が起っているのをまったく知らないで、
「さあ! お前さん! 一走り行っておくれ。
せっかく、こっちの手に入っているものを遠慮するには、当らないじゃないか」 と、
自分の言い分に十分な条理があることを信ずるように、勝ち誇った表情をした。 が、市九郎は黙々として応じなかった。


「おや! お前さんの仕事のあらを拾ったので、お気に触ったと見えるね。本当に、お前さんは行く気はないのかい。
十両に近いもうけものを、みすみすふいにしてしまうつもりかい」 と、お弓は幾度も市九郎に迫った。


いつもは、お弓のいうことを、唯々としてきく市九郎ではあったが、
今彼の心は激しい動乱の中にあって、お弓の言葉などは耳に入らないほど、考え込んでいたのである。


「いくらいっても、行かないのだね。それじゃ、私が一走り行ってこようよ。
場所はどこなの。やっぱりいつものところなのかい」 と、お弓がいった。


お弓に対して、抑えがたい嫌悪を感じ始めていた市九郎は、
お弓が一刻でも自分のそばにいなくなることを、むしろ欣んだ。


「知れたことよ。いつもの通り、藪原の宿の手前の松並木さ」 と、市九郎は吐き出すようにいった。


「じゃ、一走り行ってくるから。幸い月の夜でそとは明るいし……。ほんとうに、へまな仕事をするったら、ありゃしない」
と、いいながら、お弓は裾をはしょって、草履をつっかけると駆け出した。



市九郎は、お弓の後姿を見ていると、浅ましさで、心がいっぱいになってきた。
死人の髪のものを剥ぐために、血眼になって駆け出していく女の姿を見ると、
市九郎はその女に、かつて愛情を持っていただけに、心の底から浅ましく思わずにはいられなかった。


その上、自分が悪事をしている時、たとい無残にも人を殺している時でも、金を盗んでいる時でも、
自分がしているということが、常に不思議な言い訳になって、その浅ましさを感ずることが少なかったが、
一旦人が悪事をなしているのを、静かに傍観するとなると、
その恐ろしさ、浅ましさが、あくまで明らかに、市九郎の目に映らずにはいなかった。


自分が、命を賭してまで得た女が、わずか五両か十両の瑁のために、女性の優しさのすべてを捨てて、死骸に付く狼のように、
殺された女の死骸を慕うて駆けて行くのを見ると、市九郎は、もうこの罪悪の棲家に、この女と一緒に一刻もいたたまれなくなった。


そう考え出すと、自分の今までに犯した悪事がいちいち蘇って自分の心を食い割いた。
絞め殺した女の瞳や、血みどろになった繭商人の呻き声や、
一太刀浴せかけた白髪の老人の悲鳴などが、一団になって市九郎の良心を襲うてきた。
彼は、一刻も早く自分の過去から逃れたかった。彼は、自分自身からさえも、逃れたかった。
まして自分のすべての罪悪の萌芽であった女から、極力逃れたかった。


彼は、決然として立ち上った。彼は、二、三枚の衣類を風呂敷に包んだ。
さっきの男から盗った胴巻を、当座の路用として懐ろに入れたままで、支度も整えずに、戸外に飛び出した。が、
十間ばかり走り出した時、ふと自分の持っている金も、衣類も、ことごとく盗んだものであるのに気がつくと、
跳ね返されたように立ち戻って、自分の家の上り框へ、衣類と金とを、力一杯投げつけた。


— via「恩讐の彼方に菊池寛