まなざしの多義性

今日いちばん印象に残った言葉。「自明のものをあからさまにしない、まなざしの多義性」柏木先生が講評で言った言葉。観るひとに、何が描かれているか分からせまいとする絵の話。デザインのモチーフのこと。


「これは羊かもしれないし、雲かもしれないよ」という自由なまなざし云々の説明があったけど、後になってよく考えたら最近覚えたトートロジーに思い当たって感激した。例えば「僕は僕である」みたいな語法、同語の反復と形容の矛盾っていう面白い仕組みのこと。「明日は雨が降る、なおかつ降らない」という文言は降っても降らなくても矛盾するが、「明日は雨が降るかもしれないし、降らないかもしれない」という文言はどちらにしろ正解だからトートロジーである、みたいなこと。


帰りの車中、iPodユニコーンのライブ映像を観てた。バンド復活後に【すばらしい日々】演奏してるやつ。初めて聴くひとは歌詞の意味が分からないと思うけど、本当は誰に歌った歌なのかを知ったとき、一気に好きになる。恋人っていうひともいるし、友達とか家族かもしれないけど、それはどんな解釈でも良くて、もしかして川西幸一じゃないかって捉えたら、一気にユニコーンが好きになる。そういうこと。