保坂和志 磯崎憲一郎

夢のようだが、初めてお目にかかりました。今日、二人の講義に参加した。「聴いた」というより「会えた」という感覚。二時間半の長丁場であった。小さい教室で、最前列ド真ん中の席から込み入った質疑を投げた。ら、なんやかんや解説のち最終的に粉砕され、変な後味とともに疲弊しきってしまった。こういうのを「おなかいっぱい」とか言うけど、今回は違ってパンパンの多幸感はなく、胃もたれの予感がする。


とにかく保坂さんであった。保坂さんは暴君であった。暴君というよりボークンという感じで、宣材写真と著書文体から想像していた物腰とは大きく異なりとにかく衝撃的だった。発言にいちいち風圧があるように感じた。鋭利な羽が回っているが、ギザギザになっても良いから突っ込んでいきたい気にさせる何かはあった。会場はポカーンであったが、私はなんとなく頷けるところもあった。けど、言葉にされなかったが「キミ、頭カタいだろうね」的なことを目が言っていた。悔しかった。結局のところ、分からない者がする質問はその水準での誤解に基づいていて、答えを貰ってしまうことでその水準からは出られなくなり、質問は無くなっても問いは残る。「Elevator Pitch!」って何度も思った。こちら側にも力量が問われるわけで、一分話して面白いと思わせなきゃラリーが続かない、のは当たり前。


保坂さんと交互にマイクをとる磯崎さんの声(まさしく良い声)でちょいちょい痛みを緩和しながら、なんとか生きて還った。蛇足だが、磯崎さんの服装が素敵だった。ジャストサイズの綺麗な薄手のトレーナーの裾から、鮮やかな紺のティーシャツが少し見えていた。ベージュの綿パンにビルケンシュトックのボストンが可愛くて、とどめはチャムスのリュックである。若。




あのねぇ、理想型(完成)があると感じているひとは散文を書いてはいけないんだよね。
書くということを作業化していくことが大事なんだよ。いま書いてるところを、どれだけやるかってこと。
なに書こうなんて、書きながら考えるんだよ。どこか(終点)に向かって書いてるわけじゃないからね。
一文一文というより、センテンスだね。俺の場合は、だいたい二百〜四百字くらい。
結局、いま書いてるところから離れちゃうと感覚忘れちゃうんだよね。
いま書いてる “部分” に集中して書き続けるのは大変だろうけど、大変だからこそ面白いんだよね。
― by 保坂和志