お兄ちゃんは、あっという間に引っ越していった。持っていく荷物は何箱も無かったのに、残していったのは昔の服とアコースティックギターだけだった。繋ぎ止めようと思うから大袈裟に淋しいのであって、ひとは本当に一人で簡単に何処へでも行けるし何処へでも行って仕舞うようだった。【イパネパの娘でも練習してみようかな】ってお昼ごろメールしたら、夜の八時半に返信が来た。ちょうど退勤したころかな、と思った。誰もいない家に帰るんだろうと思った。ら、なんとなく、返信の返信が打てなかった。


YouTubeで、いろんな弾き語りを探した。ビートたけしの曲を、マキタスポーツがカバーして唄う『浅草キッド』を見つけた。マキタさんが大好きだから、iPodに入れて寝ながら一晩中聴いたりした。べろんべろんに涙が出た。下積みと言うか、こういう背景を持つ曲は心臓が抉られるようでしんどい。なぜだか、初めて観に行った春夫のライブと、大学辞めるって初めて聞いた電話のことを思い出した。僭越にも私が感じていた気分は今思えば不安と呼べる不安じゃなかった。踏み出す既のところはあんなに長くて焦らしく浮世離れなのに自信と嬉しみが勝っていた、そんなような。けれど一旦岐路を抜けると、驚くべきことに心配以外が全く無い。本当の不安だけがある。


私は私のことを考えていて私だってぐちゃぐちゃにしていい過去や一つのために捨てていい数々があるよと思う。想像もつかないような未来があるよと。でも現実にはうっちゃれなくていろんな保険で守っているよと思う。裸一貫の、どっちにも転ずる蓋然性のあるひとに、がんばれがんばれと言えない。押したり引いたるするのはずるい。継続して誰かの心配するのは人生を二つ生きてるみたいで辛い。




地上には大小の道がたくさん通じている しかし みな目指すところは同じだ
馬で行くことも 車で行くことも 二人で行くことも三人で行くこともできる
だが 最後の一歩は自分ひとりで歩かねばならない
— via「独り」ヘルマン・ヘッセ