シキカンが死ぬ

急に、兄が宇都宮へ転勤することになった。ひとり暮らし。お母さんと一緒に家具や家電を見に行くけど「お前も来る?」と聞かれて、断ったら「薄情だなぁ」と言われてしまった。二十五にもなって、新居で使うモノなんか自分で決めろっ、と思ったら単に母が世話焼きなだけで、兄の車で兄の運転で行くのだから、買い物がてらの家族サービスらしかった。


私も早く家を出ようと思って大量の荷物を捨てた。目標は二年目の夏だったけど一年目の春に引っ越すことにした。「大丈夫かな」高校の親友に相談したら「だいじょうぶ」とのことで諸々を決めた。最終的には一家離散だろうと考えていたからここには置いていけないと思ってひたすらモノを捨てたのに、最近になって両親はふたりでここに残ると言い出した。驚いた。ケンカ以外で何年ふたりの会話を聞いたことがないのに、いつの間にそんな協議がなされていたなんて。これこれこうだからと、母ではなく寡黙な父から私に伝えられたことも、なんか腑に落ちなかった。理由はシンプルだった。「お前がもし身体を壊したら帰る場所が必要だから」「お前が結婚して子供を生んだら遊びに来る場所がないと可哀想だから」今の今まで知らなかったが、私の両親は両親の両親とも離婚していた。お正月や夏休みに遊びに行く田舎は、決まってひいおばあちゃん家だった。「どうしておばあちゃん家じゃないの?」と聞いたら怒られたあの意味がやっと分かった。「本当は連れて行ってあげたかったし、私だって淋しかった」と母さん言ってたよ、と、父が言っていた。


兄と母は予想通り、ハンズや無印の袋を下げて買い物から帰ってきた。普通だなぁと思った。平和だなぁと思った。むかし、渋谷のロフトの無印で、春休みだけのバイトをしたことがあって、そこの副店長は、多摩美の絵画学科のOBだった。「こんな店で働いてたらシキカン(色彩感覚)が死ぬぜ」という冗談をいつも言っていた。白で統一された新生活応援セット一式を買っていく平和な親子連れを何十人も見た。私が引っ越すときはもうちょっとおもしろい買い物するぞ、と心に決めている。とかいってめちゃくちゃベタな無印生活したりして。