プロット・ドリブン

前から薄々、気付いていたことではあるけれど。私の場合、自分を着飾って化粧などしているとき、というのは見事なまでに部屋がとっ散らかっており、頭は空っぽで少し饒舌である。逆に、部屋がきれいで美しいときなどは、おしゃれのおの字もない気の抜けた風采であり、無口であるが、脳は妙に活性化していて何か閃いたり、出来なかったことが出来るようになったりする。


芥川賞直木賞を重点的に読んでいると、文学賞作品における一定の基準とそれぞれある傾向に気づくのだが、選考会での書評と合わせて検証すると、その中にも実は毎回ドラマがあって、戦いであって、「受賞作!」の帯を本同士が争奪していて目には見えない火花が散っているのだった。だからやはり良本が多い。読みやすいという点もある。明らかに“狙いにいっている”感じの小説も、これはこれで良しとして、選考委員の河野多恵子いわく“狙われてなんぼ”だそうだ。


未映子の『乳と卵』が第138回芥川賞だったから、それ以前の受賞4作品をここ最近で続けざまに読んでみた。絲山秋子沖で待つ』、伊藤たかみ『八月の路上に捨てる』、青山七恵『ひとり日和』、諏訪哲史『アサッテの人』、そのあとで『乳と卵』を再読したとき完全なる得心というか、これはアハ体験であった。こう来て、こう来て、こうなんねや。だからもう全然『乳と卵』は自分にとって“違和感”ではなくなった。(これが言いたかった。)


そんなわけで、おでかけと言えば冬期講習のバイトくらいで、年の瀬もおおかた家で読書した。大気圏に突入したらしく、いつのまに機体は水平であった。そして、いつ完成するか分からない小説を書き始めた。本当に書き始めた。ショートショートではなくて普通の。登場人物に、ちゃんと名前があるやつを。命名するとき少し恥ずかしかった。どれもしっくり来ないが、なんとかやっている。展開の中で一人称も使ってみたり、回想させたり会話させたり、なんかそういうことをやっている。メモ帳とWriteRoomに保存してある書き付けの情景描写を繋いでみたり、組み替えたりやっぱり戻したり、自分で何がしたいのか良く分からないがとにかく愉しい。最近の悩みは具体的である。