作家

探しものはもう全部、本の中に在るように思えて、絶対的な信頼感をバチバチに感じる昨今。すっごい色んな感情の波にさらわれて、セリフとか情景に一喜一憂することもあれば、文脈の妙に感心したり、動揺したり圧倒されたりして、娯楽の域を超えているというか一冊ごとにヘトヘト。影響力は多分にあって、吸収しているという実感が大きいところが良いのかもしれない。今日は課題やら制作やら諸々のタスクに触れず、本を読み耽ていた。自分にとってのノン・フィクション(現実)よりも、フィクション(文学)を優先してしまうありさまである。


自分は何を大切に想っていて、指向性は何処に向いていて、心は此処です、世界がどう見えますということを表向きに、誰かに伝えることが出来るなんて羨ましい。作家というのは、その類稀な運動神経によって情意的な評価と解釈、意義づけを美しく記録していくところが何ともあざやかで、憧れる。


就活で出逢った出版社の人に、「作家志望ですか」と聞かれたとき、恐れ多くて思わず「違います」と言ってしまったのだが、書くことに興味があるなら見せてごらん。ということでいくつか講評していただいた、ので要約すると、全体的に私の文章は若い、率直で若さに溢れているとのこと。ハードボイルド。そしてブレス(句読点等の位置)が良い、とのことでした。あまりに駄文で苦肉の褒めポイントなのでしたらホントに恐縮です。注意点として、常体と敬体が混じっていると指摘されたのですが、これに関しては態と、意識的にして、ます。「◯◯た/◯◯ました」は、小学生のときから混ぜ気味に、自由に書いても先生は怒らずにいてくれて、それに加え、たまたま優等賞に選ばれた私の作文を、国語の時間に大きな模造紙を使ってみんなで清書し 教室の外の壁に貼るってゆう、当時小一だった私の子供心をときめかせる出来事が忘れられずにあって、だからこうして曲がりなりにも鉛筆を離せないでいる。もうそろそろ口に出して言わないといけない気がするが、(もしかしたら)私は、作家になりたいのかもしれない。