言語表現

どんな広告にも、AD+C(アートディレクター+コピーライター)の存在は欠かせない。クリエイティブディレクターの永井雅行さんは、そう言います。将来仕事をしていく上で、私自身は言葉の仕事の比重を大きく持ちたいと本当は考えています。ビジュアル面を作る側ではなく企画や立案を手伝うことの方が合っていて、そこに必要なコンセプトやコピーを書くたび充実感を憶えます。じゃあデザインの勉強は?テキスタイルはどうするの?という問いには、丁寧な言葉を選んでいつかはっきり答えたいと思います。今は、それもまた私にとって必要なことだという確信だけが心の中にあります。


以前、architable(2008-10-20「建築と言葉」)にコメントさせてもらった中で、芸術家の言語表現の必要性について少し触れましたが、多摩美の学長も私たちにはよくコミュニケーション能力を伸ばしなさいと言います。ある日、予備校で教えている生徒が「どうして美大入試に学科の試験があるのか」と不満をもらしました。美大入試は実技試験のほかに【英語・国語(+小論文)】が課されるのですが、浪人生に負けないよう実技の勉強に時間を割きたい現役生にとって、学科はどうしても億劫らしいのです。しかしながら言語というのは人が使うもっとも根源的な表現であって、「表現者」となっていく私たちが学ぶのは当然のこと。だから英語と国語はやらなきゃいけない。このことに気が付けば、自然と勉強できるはずだよ。と、説明してみましたが果して高校生はどう受けとめてくれたでしょうか。


デッサンが描けなければ色立体も描けないように、又は生産者(作り手)の気持ちが分からなければビジネス(売り手)が上手くいかないのと同じように、デザイン業界におけるコピーライティングはデザインの経験があればなお、というような相互関係だと思います。言わば、文章は右脳で考えるということ。私はそれが可能だと思っていますし、そうありたいと思っています。最近は、友人に「いつか共著で本を出版しよう」と言ってもらえたのが励みで、言葉の勉強が楽しいです。