勧酒

家に帰ると、玄関先に傘が三本ひろげてあった。それは午後から出掛けていったお母さんの苦肉策で、【鍵が見つからないからドアに施錠しないまま、せめて障害物を並べてみました】というメールの通りになっていた。障害物とは言ってもただの傘で、その頼りなさを目の当たりにして涙が出そうになった。【泥棒に気をつけて】という文が最後につけ加えられていて、危なっかしくて、午前の筆記試験を終えた私は飛んで帰ってきたのに、急に悲しくなって、誰も家など狙っていなくて、まして真面目に心配などもしていなくて、私だけが下らない熱を持った存在に思えて恥ずかしくなった。


試験のとき、隣の席の子に「シャー芯ください」と言われた。この感じ、前にもあったな、とふと思った。それは年度末の服飾文化論のテストで、開始直前、目の前の子が突然振り返り「一本で良いのでシャー芯いただけませんか」と言ったこと。あのときと同じように「4Bですけど良いですか」と聞くと、ヨンビーに関しては何も考えない様子で「ぜんぜん良いです」と即答し、大事そうに受け取った。柔らかい芯は鉛筆のような字が書けるよ、書いて見てごらん、と言ってみたかったけど、隣の子はそんなことどうでもよさそうな顔で机に置かれた問題用紙の裏面を凝視しはじめた。


実は、まさかと思ったが社是が問われた。酷く堅い会社だけあって、一般科目の最後に当たり前のごとく設問されていた。ちゃんと覚えてなくて答えられないから、自分の好きな井伏鱒二の言葉で解答欄を埋めた『花に嵐のたとえもあるぞ さよならだけが人生だ』そのことを思い出しながら三本目の傘をたたみ終えたとき、ああ本当に下らないと思った。さよならだけが人生なわけではなくて、これは漢詩の意訳で前半部分があって、それが掛かるからこの言葉の本来の意味は素晴らしい、けど、そんなこと誰も聞いてない。確か、社是の正解は『夢高くして 足地にあり』からはじまる矜持みたいなものだ。おぼろげなものなんてお呼びでない。外の傘立てに傘をぜんぶ突っ込んでから、鍵のかかっていないドアのその向こうが断崖絶壁だったら迷わず落っこちたいわと思って思いっきり開けてみようとして、だからそれがいけないんだと思ってやめた。